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日本語が滅びるとき/水村早苗/筑摩書房

最近ずっと頓挫しており、久しぶりの更新です。
もうブームから遙か遠く、読み始めてから5ヶ月くらい経ってしまった。

この本をどの様に説明するか、或いは何故読み始めたのか、を言葉にするのは難しい。
でも読み進めると色々忘れていたというか、考えもしなかったことも、指摘してくれる。

1つの言葉における有史以来の異変は、一番下に位置する部族の言葉が、名も知れぬ言葉が、大変な勢いで絶滅しつつあるという。

今、地球上に6000くらいの言葉があると言われているが、そのうち8割は今世紀末までに絶滅するであろうと予測されている。
歴の中であまたの言葉が生まれては消えていったが、いま、生まれるよりは勢いよく消えつつある。

2つ目の異変は、今までのすべての言葉の更に上にある、世界全域で流通する言葉が生まれた。
それが今<普遍語>となりつつある英語に他ならない。
普遍語となったのは、歴史の必然と偶然が絡み合って、であって、英語という言葉そのものに原因はない。

ところが英語がココまで広く流通すると、雪だるま式に更に広く流通していく。
しかも、今やインターネットという技術も加わり、国境と言う人為的な壁もヒマラヤ山脈や太平洋もなのもかも飛び越え行き交うことが出来る。

<母語>と英語という2つの言葉を必要とする機会はふえ、ある民族は<母語>=<自分たちの言葉>が「滅びる」にを手をこまねいて見ているだけかもしれない。

確かに昔、外国からの手紙には「PAR AVION」と書かれていたがある日突然「AIR MAIL」と書かれるようになった。

この世にには限られた公平さしかない。善人は報われず、優れた文学も日の目を見ずに終わる。
日本近代文学が存在したという事実が知られたのは、日本が真珠湾を攻撃し、慌てた亜米利加軍が敵国を知るため、日本語が出来る人材を短期間で養成する必要に駆られたのが一番の大きな原因である。

アメリカの情報局に雇われた中でも極めて頭脳優秀な人たちが選ばれて、徹底的に日本語を学ばされ、彼等が後に日本文学の研究者、そして翻訳者となった。

サイデンステッカー、ドナルド・キーン、アイヴァン・モリスは海軍で、ハワード・ヒベットは」陸軍。

そんなわけで1968年川端康成がノーベル文学賞を受賞したのも、そのような英訳があったおかげである。

本のあちらこちらに沢山の面白い話が眠っている。

明治初期、国家事業の一環として、兵制・富国強兵にかかわるものならともかく、歴史書も含め、直接役に立つ訳でもない本まで翻訳している。

「科学技術とも関係のない、芸術論の根本の美学についても」翻訳させたという。
この国家の「懐の深さ」を今の官僚や政治屋のお馬鹿な連中に少しは見習ってもらいたいものである。

その根底には江戸の高度に洗練された文化がある。
近松がいればシェークスピアも意味をなし、世阿弥がいれば「美学」も意味をなす。
底には、さらに、<叡智を求める>という行為に必然的に内在する無目的性そのものである。
<叡智を求める>という行為は、究極的に、目的を問わずに、人間が人間であるが故の行為に他ならない。

明治維新前の日本の背景の過程を余すことなく描き出すのが「福翁自伝」であるという。
福沢は、出世をしたいがためでもなく、金儲けをしたいが為でもなく、ひたすら、自分が知っている以上のことを知りたい。
いや、その時人類の知っている事全てを知りたい。
さらには、そうすることによって世の権力や俗界を睥睨したいと。

その根底には、「門閥制度は親の敵でござる」という有名な言葉に込められた、江戸幕府に対する怒りがある。

門閥制度を世襲制度に置き換えてもまだ通用する世の中である。

某都知事が環境庁長官だったとき、水俣病患者の人たちが陳情に来ても、知らん顔をして用事があるからと言って、テニスの練習に出かけようとし、エレベーターで患者達とバッタリ遭遇し、「俺たちは、こんな不自由な身体でわざわざ遠くから陳情に来ているのに」と詰問されると、SPに守られながら後ろを向いてしまったという。
何という小心者だ!

諭吉は寝る暇も惜しんでオランダ語を数年間学び、実際使ってみようと、江戸屋敷から歩いて横浜へ赴く。
しかしちらほら歩いている外国人にオランダ語が通じない。
「こちらの言うことがわからければ、あっちの言うことも勿論分からない。店の看板も読めなければ瓶の張り紙も分からぬ。 なにを見ても私の知っている文字は無い。」

衝撃のままテクテクと江戸まで戻ってくる。前の晩の12時から行って、その晩の12時に帰ってきたから、丁度一昼夜歩いていたわけだ。

だが肉体的疲労より、精神的衝撃の前にはどうしようもない。店の看板も読めないほど誠に詰まらぬ事をしたわい。

これは、同情を超え、苦悶に近い状況である。

驚嘆すべきは諭吉の立ち直りの早さである。落胆している場合ではなくと考え、何と彼は翌日には立ち直ったという。

そこから英語の独学が始まる。
学んで行くに従って、英語はオランダ語とそうたいしては変わらない。オランダ語を学んだことがムダではなかったことを知るが、当初の諭吉の悲愴な心を思うと悲喜劇である。

英語至上主義と言われると抵抗あるだろうが、1960年代駐日米国大使を勤めたエドウィン・ライシャワーが大使をやめた後、「日本の対外接触にとって、言語的障壁がどれほど大きいかを本当に認識している人は、日本人にも少ないし、外国人にはなおさらである」

「ここ二十年の間、私は何十人もの日本の閣僚と知り合ったが、そのうちで、知的な真剣な会話を英語で交わすことの出来るのはせいぜい三名しか思いつかない。
西洋史を含む歴史の教授も、ここ40年間に何百人となく知り合ったが、同じ事の出来る人の数は、閣僚のそれを上回らない」

いまは無き、宮沢首相がクリントン氏と話していて、途中でクリントン氏がその英語の意味は何ですか、と訊いたいう逸話はやっぱり、本当なんだろうか?

漢字という表意文字と、自分たちの表音文字を混ぜて書く。それだけでも特異なのに、二種類の表音文字--「ひらがな」・「カタカナ」がある。そのうえ、漢字そのものには音読みと訓読みがある。

しかも、音読み・訓読みは、複雑この上ない。「香」という漢字は「コウ」とも「キョウ」とも音読みで読め、「かおる」とも「こうばしい」とも「訓読み」で読め、その「かおる」という「訓」自体、「香る」だけでなく「薫る」「芳」「郁」「馨る」などほかの漢字の「訓」がある。

ある学者は、「日本語は、これまで地球上に存在した文字の中でもっとも複雑な文字で表記される」とのことである。

まだまだ、奥深い思いが詰め込まれているが、インターネットを介しての、英語と「母語」の関係は、英語圏の連中には無い悩みだと思う。

すこし、英単語の勉強をしたくなる本でもあった。

本日は久しぶりにZAPPA PLAYS ZAPPAを聴きながら・・・・
何度聴いても感動巨編です。
ザッパ氏はもういないんだけれど、膨大なレコーディングソースは幾らでもあるんだから、ドンドン発売して欲しい。

2009/05/27

やっぱり久保田真琴と夕焼け楽団が最高!

久しぶりにコレクションをあちこち入れ替えしていたら、久保田&サンセットギャングのショウボウトデイズという2枚組のアルバムが出現した。

裏を見ると2004年となっている。

懐かしい曲がディスク1で、ディスク2はリミックスヴァージョンとなっている。

ご存じだと思うけれど、喜納昌吉の「ハイサイおじさん」を最初にアルバムに取り上げたのは、久保田氏だった。

セカンドアルバムは、矢張りたまに聴くし、ラストのアルバムもまた傑作だったんだけれど、あまり認知されていない。

ルーズだけれどタイトな緻密な演奏が素晴らしい。

そうだ、めんたんぴん、という忘れ去られたバンドもあった。
確か、小松出身でグレイトフルデッド大好きなバンドで、LPもCDもどこかにあるはずである。

最近はLPをCD-Rにコピー出来る機器も出てきたことだし、隅に追いやられているLPもそろそろ引っ張り出してみようかしらん。

2009/05/22

本日は、ビートルズのアビーロードを聴きながら・・・・・

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